ジャーナリスト Kei Nakajima

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特筆記事

その11
特筆記事

高句麗に由来する曼珠沙華の里をたずねて

 東京・西武池袋線の高麗(こま)駅から徒歩10分の巾着田(きんちゃくだ)という場所に曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の群生地があるという。曼珠沙華は彼岸花のことだ。小さい頃、田舎の田んぼのあぜ道に、秋の訪れとともにぽつん、ぽつんと赤い花をつけた彼岸花。大好きなこの花を求めて、2004年9月19日、小旅行に出かけてみた。ここ、高麗(こま)はその地名から想像できるように、高麗(こうらい)に由来するという。その昔、朝鮮半島から渡来人が住み着いたことでこの地名になったと言われる。まず巾着田にほど近い高麗神社を訪ねてみた。高麗神社社務所の資料によると、高句麗国からの渡来人、高麗王若光(こまのひきしじゃっこう)を祀るため建てられた。高句麗は紀元前1世紀ごろ建国され、668年に滅びるまで主に中国東北部および朝鮮半島北部を領有した。若光が日本に渡来した年代は「日本書紀」により666年(天智5年)のこと。その後、716年(霊亀2年)、大和朝廷は駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の七国から高句麗人1799人を武蔵国に移し、「高麗郡」を創設した、とある。このとき、郡の朝刊に任命されたのが高麗王若光で、若光は未開の地だったこの地域を開発し、先進的な文化を伝えたという。郡内の人々が若光の遺徳を称え、建立したのがこの高麗神社というわけだ。代々、若光の子孫が宮司をつとめ、現在は59代目とか。過去に浜口雄幸、鳩山一郎などが参拝し、相次いで総理大臣になったことから「出世明神」とも呼ばれるそうだ。

 さて、高麗神社から車で約15分ほどの巾着田に到着。見渡す限りの彼岸花の花、花、花・・・。真っ赤に燃える群生に圧倒されて
しまう。もともと巾着田は高麗川の蛇行によって長い年月をかけて巾着の形をした耕地が形状されたものだそうだが、河川の増水などにより流れてきた漂流物に混じって球根が漂着し、ここに大量の彼岸花が根付いたという。現在では地域の人々が球根を掘り起こし、10球から15球を1株として移植し、鑑賞できるように整備している。彼岸花は房が8個から12個ぐらい、真っ赤なまつげのような花びらが何ともゴージャスで遠くから見ると、ひとつの大輪の花のように見える。葉はなく茎がすーっと伸びて上に花がひとつ。ごくまれに白や黄色の花も咲くが、ほとんどが真っ赤だ。ここまで見事な彼岸花を見ると、本当に心が洗われる。美しい癒される思いで胸をいっぱいにして、群生地を後にした。

 ところで、高句麗といえば、今、韓国と中国の間でホットな問題として繰り広げられているのが、この高句麗論争である。韓国では高句麗を含め、旧・高句麗の領域で現在も韓国人(朝鮮族)がたくさん居住する「間島」の領有権を主張する声が大きいという。旧満州の中国・東北三省に住む朝鮮族は200万人といわれ、その半分が「間島」地域に住んでいるという。確かに、私が先日訪れた旧・満州では朝鮮料理の店を数多く見かけた。ちなみに韓国語では彼岸花のことを「相思華」というのだそうだ。それにしても、遠く日本の埼玉の山奥にも、高句麗に名前を由来するところがあったなんて・・・日本とのえにしも少し思い描いた、実り豊かな小旅行となった。

(文・写真/中島恵)


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