ジャーナリスト Kei Nakajima

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特筆記事

その20
特筆記事

高麗人(カレインスキー)を知っていますか

 日本で大ヒットした韓国ドラマの元祖といえば「冬のソナタ」である。2003年に日本で放送されてから早くも5年。韓流は熱狂的なブームを経て、すっかり日本に定着した感がある。書店にいけば「韓流」コーナーもあるし、韓国人スターも頻繁に来日するなど、韓流によって日韓関係も大きく変わった。私は韓流にそれほど詳しくないが、あるとき韓国ドラマや映画にまつわる韓国の歴史や背景を取材することになり、その過程で偶然、高麗人(ハングル読みではコリョサラム、別の名称はカレインスキー)の存在を知った。
  それは韓国人の取材先が、あるドラマに関連してアフガニスタンやイラクへの韓国人派兵について話しているくだりだった。「中央アジアに住むカレインスキーが…」と言ったとき、最初は意味がわからずロシア系民族のひとつを指しているのかと思った。あとで聞いてみると、それはソ連で厳しい歴史を辿った朝鮮民族のことであるとわかった。また、中央アジアに住む彼らのことを朝鮮半島に住む朝鮮民族とは別に「高麗人」と呼ぶのだということも知った。高麗は朝鮮半島に10〜14世紀に存在した国家名で、「朝鮮人参」や「Korea」という名前で残っていることでも知られるように朝鮮半島=高麗となっている面もある。しかし、ここで言う高麗人とは別のものである。

 現在、中央アジアのカザフスタンやウズベキスタン、ロシアなどに住む高麗人の一部は19世紀以降、ロシア極東の沿海州に定住していた。大韓帝国が日本の植民地下になったことから、沿海州に住む彼らがソ連で日本のスパイ活動をするのではないかとスターリンが考え、1937年に中央アジアなどに強制移住させたのだ。その頃、沿海州には20万人もの朝鮮人が住んでいたが、そのすべてが強制移住の対象になったという。彼らのことを高麗人という。彼らだけでなくソ連の辺境に住むさまざまな民族がシベリアや中央アジアへと追放された。強制移住先の多くは乾燥地帯で農作物がとれず生きていくには厳しい環境だった。不毛の地で苦しい生活を余儀なくされた上に母国語も禁止されて、数多くの人が苦難の中で亡くなったという。取材先の方は以前、ウズベキスタンを旅行したとき、あちこちで「同胞」である高麗人の姿を見かけたという。彼らの一部は流暢なロシア語をしゃべり、市場でキムチや雑貨などを売っていた。長い間虐げられ、存在もあまり知られていなかったが、最近では韓国からも取材や研究に行く人が増えているとのことだった。


(ウズベキスタンの写真家アン・ビクトル氏の作品)

 私はこの話にとても興味を持った。調べてみたところ、日本でも「追放の高麗人」(姜信子著、アン・ビクトル写真、石風社)という書籍が2001年に出版されていた。在日韓国人であり作家である著者が中央アジアにある高麗人の村を訪れ歩いたルポである。写真は高麗人であるアン・ビクトル氏が撮影した。著者は本の中で高麗人が数十年間歌い継いできた「故国山川」という歌を巡る記憶をたどりつつ、ハバロフスク、パルチザンスク、ウスリースクなどで高麗人に出会う。朝鮮半島を離れ沿海州も離れて、中央アジアで生きなければならなかった彼らは、この歌のメロディに望郷の思いを託して心の支えにしてきたという。だが、この歌はもともと日本人によって作詞作曲された「天然の美」という歌で、サーカスのときにバック音楽としてよく使われていたことを著者は高麗人たちに話す。それを聞いたほとんどの高麗人は、それが日本の歌だとは知らなかったようだ。私も本で読んでピンとこなかったが、インターネットで検索するとメロディが聞こえてきた。私でも幼い頃の記憶に残る懐かしい歌だった。

 同著によると、シベリア鉄道で中央アジアへと運ばれていくときに不満を洩らして銃殺された高麗人の若者が死を前にして歌ったのもこの歌だった。97年にカザフスタンで催された追放60周年の式典でもこの歌をモチーフにテーマソングが作られたという。ドレミの音階の4番目のファと7番目のシを抜いた「ヨナ抜き」短音階の3拍子であり、音のつくりが韓国の民謡にも似ているということだった。同著の内容は私のまったく知らないことばかりで興味深いが、中でも印象的だったことのひとつは、ハバロフスクで著者を案内していたキム・ウラジミルという男についての部分だった。またの名をキム・ヨンイルといいイサムという日本名も持つ。日露戦争後、日本の支配下にあったサハリンで大東亜戦争が終わる2ヶ月前に生まれ、日本名と朝鮮名、そしてウラジミルというロシア名を持った。ウラジミルの話では、ハバロフスクには8000人ほどの朝鮮半島にルーツを持つ人々が暮らしているという。ウラジミルの案内で著者が会った唯一の「北朝鮮の人間」がモスクワ放送局ハバロフスク支局長だった。

 著者が支局長に会った帰り、なぜ北朝鮮の人間がモスクワ放送局の支局長という重職についているのか?と高麗人のディレクターに聞いてみたところ、支局長は朝鮮人学徒兵として日本軍に徴兵された末に満州で捕虜となり、ソ連に抑留された過去があるという。北の人間というのは、朝鮮半島北部の出身という意味で、彼自身は植民地支配からの解放後に生まれた「北朝鮮」の国民だったことは一度もない。戦後、獄中にあった彼はハバロフスクに放送局が設立された際に朝鮮語放送のアナウンサーとして監獄から呼び出され、その後放送人として今に至るという話だった。アン・ビクトル氏が撮影した数多くの高麗人の写真とともに、本書によって高麗人が歩んだ苦難の歴史の一端を知ることができた。

(2008.4.10記 文・写真 中島 恵)


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