ジャーナリスト Kei Nakajima

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著書

『半島へ、ふたたび』

著者:蓮池薫
出版社:新潮社
出版年:2009年6月24日
ページ:252ページ

韓国への関心が高じて、最近は北朝鮮について自分でも信じられないくらい興味が広がりつつある。ポジャギ本でも北朝鮮産のポジャギを取材する機会があったし、昨年は北朝鮮文化にくわしい学者の講座を数回連続で受講した。今年3月には中朝国境地帯を歩き、双眼鏡で対岸にある北朝鮮の町並みや駅舎、労働者たちが数人かたまって歩く姿も見た。拉致被害者、蓮池薫さんの著書は発売当初は気に留めなかったが、夏頃に友人から「とてもおもしろい。文章もうまいし観察眼がいい」と聞いて読んでみることにした。

「まえがき」から蓮池ワールドは始まっていた。文章が実に小気味よく素直、謙虚な人柄が随所に現れていて、とにかく読みやすいのだ。韓国旅行記の類は数多いが、わずか8日間の韓国旅行でここまで話題を広げて書けるとは、やはり北朝鮮での24年間と重なる部分や比較する部分が多いからなのだろうが、持ち前の知識や文章術も長けていて正直いって驚いた。もともとブログからスタートしているとはいえ、感想や自分の考え、行き先をおもしろおかしく羅列するのではなく、一つひとつきちっと検証しているところがすばらしい。基本的には8日間の韓国旅行の行程を追っているので、自分の韓国旅行とも重なる部分があり、情景は私の目にも浮かぶ。同じような場所にも足を運んだ。だが、自分はここまで注意深く観察して町をみたことはなく、勉強になる部分がとても多かった。

たとえばタクシーから目に飛び込んだ「ソウォルギル」(ソウォル通り)で、蓮池さんの脳裏には北朝鮮出身で、1920年代に韓国で活躍した国民的詩人、金素月(キム・ソウォル)が浮かぶ。「チンダルレの花」という男女の別れをうたった抒情詩が有名だという。私は春に韓国を訪れたことがなく、チンダルレ(カラムラサキツツジ)の花はまだ見たことがない。日本のツツジと似ているが日本には自生しておらず、北では「春を最初に知らせる花」と呼ばれているとか。そんな話題にも及ぶところは、やはり北でさまざまな経験をしてきたからなのだろう。ソウル初日の夜、ホテルの部屋で電気をつけずに夜景を眺めるシーンから、帰国したときの赤坂プリンスホテルの思い出につながる。マスコミの取材が過熱し、ホテルのカーテンすら開けられないといわれたとき、夜中に奥さんとそっとカーテンを開けるシーンだ。煌々として夢のように明るい東京の夜景、そして24時間前の平壌の夜景を語る場面では、当時の蓮池さんの思いが伝わってくる。これまで、蓮池さんを始め拉致被害者の方々は北の思い出についてほとんど具体的なことを語ってこなかった。本書でも蓮池さんは多くの思い出を思いっきり語っているわけではなく、周囲への配慮があちこちにうかがわれる。それでも、文章の端々に綴られる北の情景や思いは、抑制が効いているからこそかえって胸に染み渡る。

クスッと笑ってしまうようなおもしろい場面もある。かまどを使って納豆作りをしたというくだりでは思わず笑ってしまった。蓮池さんは納豆が大好きで、北朝鮮に渡ってからも納豆がとても恋しかったそうだ。海外に住んでいるとき、無性に「これを食べたい」と思う気持ちは理解できる。それを知った奥さんは何度となく納豆作りに挑戦したとか。結局、わらの消毒や発酵温度がうまくいかなくて不気味なカビが生えたりして失敗したが、それを食べてゲリをしてしまったという。

また、ソウルの「腹の出た人は通れないかもしれない」というある路地を探検してみる場面もとても興味深い。その路地は坂道に沿って住宅がぎっちり立ち並んでいる区域で、韓国では「トンタルネ」(月の町)と呼ばれている。貧しい人々が住んでいる山の頂上や傾斜地などにある。こんな名前がついた理由には2説があって、ひとつは高いところにあるので家の中からも月がよく見えるという説。もうひとつは「タル」はもともと山を意味する古語だったという説。朝鮮戦争後、廃墟と化したソウルにはたくさんの掘っ立て小屋が立ち並び、それがだんだんと山や丘の傾斜地に移動してそこに労働者が住むようになり、トンタルネが形成されていったという。ぺ・ヨンジュン主演のドラマ「初恋」でも、ぺ・ヨンジュンたち一家がソウルに出てきて最初に住むのが狭い路地を上がった頂上にあるトンタルネの一角だった。ここで蓮池さんはついに幅わずか60センチの路地を見つけてそこを通るのだが、その描写がユーモラスだ。ここでは旅先での冒険心という茶目っ気のある話題とソウルの都市再開発と格差社会という硬派な話題が見事に描かれている。

本の後半では韓国旅行で蓮池さんが翻訳した韓国本の著者、金薫さんや孔枝泳さんと再会したことや、新潟産業大学での韓国語講師の仕事について、そして自分の家族との日常についても触れている。印象に残ったのはある学者の定義として蓮池さんが引用した次の一文だ。

文化とは、「暮らしの仕方」をいう。その暮らしとは「こころ(暮らしのなかで育まれた感覚、感情、価値観)」と「言葉(言語)」と「仕事(それぞれの暮らしを成り立たせるための活動)」の三つに分けられる。これらの文化は世界各国、地域によって違う。つまりそれぞれが異文化を持っている。

これまで文化にはほとんど無関心だった私だが、ポジャギを知ることによって文化への興味が湧き、考え方も少しずつ変わってきた。蓮池さんが引用した「文化」の文章には重みがある。最後に蓮池さんが書いていた「北朝鮮に奪われた二十四年を取り戻すために」という文章も感動的だ。「仕事を楽しみ、仕事に熟達するための努力を楽しみ、仕事のよって得た果実を楽しむ。これが最大の生きがいである。だから仕事の虫だと言われてもかまわない」というこの言葉。人生の絶頂期に自分の夢を持って自由に生きることができなかったからこその含蓄のある言葉から、私も勇気をもらい、日々の自分を反省した。そしてあとがきにもあるように、拉致被害者の帰国を私も心から願いたい。(09年11月9日)


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