ジャーナリスト Kei Nakajima

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転→展→天職  週刊ダイヤモンド2003年8月30日号
高橋浩二さん(46歳)
拓銀、雪印での挫折を経てコンサルタントに

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  1997年11月16日、日曜日、上司からの電話が突然鳴った。「明日朝7時までに出社してくれ。大事な話があるから」。北海道拓殖銀行破綻前夜のことだ。

 あこがれの地だった北海道の企業に就職してから17年。40歳で日本初の都銀経営破綻という辛酸を味わった。しかし悲しみにひたる暇などなかった。その日から取引先企業を回る日々。98年3月まで黙々と破綻処理に明け暮れた。同僚の多くが引き受け先である中央信託銀行(現・三井信託銀行)、北洋銀行などに転職するなか、高橋さんも担当企業だった雪印乳業への転職が決まった。だが、高橋さんは言う。

 「本当は『転職』とは言わないんですよ。だって拓銀も自分で『退社』したわけじゃない。会社そのものがなくなっちゃったんですから。僕たちは拾ってもらったんです」

 雪印ではタイ工場の清算などを任されたが、3年目には辞める決心をした。銀行マンとして常に数十の案件を処理していた高橋さんにとって、メーカーで1つの案件を遂行するのは物足りなかったのだ。そんな矢先、大阪で食中毒事件が発生。まるで拓銀破綻の再来のように、苦情処理に追われた。一段落したところで退社。以前から考えていたコンサルティング会社を立ち上げた。自分の強みは対外交渉や経営戦略に長けていること。拓銀時代のキャリアを生かせると考えた。

 手持ちの貯金600万円に資本金を上乗せしてくれたの は拓銀時代の同僚たち。「うまくいかないだろうけど、出資するよ。少しだけどね」。株主26人中、21人が拓銀OBだ。ある日突然会社がなくなり、人生のコースを狂わされた拓銀マン。納得して辞めたわけではないので、いまだに過去を引きずり、天職に巡り合えない者も少なくない。そんな仲間から夢を託されたのだ、と思った。家族も応援してくれた。

 創業3年目でクライアントは約60社になった。中小企業から店頭公開企業まで幅広いが、とくに拓銀時代に担当した食品や流通業界の財務に強い。こだわっているのは「本当に役に立つ」コンサルティングだ。経営戦略をぶつだけのコンサルタントにはなりたくない。結果として企業が再生できなかったら、コンサルタントの責任だ。「お客様の業績がよくなったら自分も幸せになれる」と思う。
  銀行マン時代は顧客と相対して債権回収をしていたが、今は違う。顧客と同じ方向を向いて長く付き合いたいと感じている。「うちは契約更新率が90%なんです。戦略系じゃなく、癒やし系コンサルティング会社になりたい」。2度の挫折を経験し、ようやく自分で描いた人生を歩み始めた、と実感している。


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