抜粋記事
2005年4月9日号「週刊ダイヤモンド」
P96−99 中国エリート教育事情
望子成竜――。子どもに竜となることを望む、という意味の中国語だ。こんなことわざが示す通り、年率一〇%以上の経済成長が続く中国では教育を最重要課題と位置づけている。だが、成長に合わせるとしたら全体の平等な底上げなどでは追いつかない。次代を担うエリート層をいかに促成するかが大きなテーマとなる。
上海市の中心部。地下鉄「江蘇路」駅を出てすぐ、幹線道路に面して、上海第三初級中学と上海第三女子中学(日本の高校に相当)が立っている。
中国で最も有名な女性、宋慶齢(孫文夫人)女史など各界で活躍する女性を輩出した一八九二年創立の伝統あるエリート女子中学と女子高校だ。
水曜日の午後二時過ぎ。英語の自習時間中という予科(中学一年)のクラスでは英語の自習時間中だった。このクラスは三十一人。一学年は全部で二一〇人。中学全体では約一〇〇〇人が在籍しているという。上海ではごく平均的な規模だ。
中国では小学校は五学年制で、六年生は予科と呼ばれ、中学に属する。中学が四年、高校が三年という「五、四、三制」の教育システムをとっている。義務教育は日本と同じく小学校と中学校の計九年間だ。公立の小中学校であれば学費は免除だが、賛助金という名目の費用が徴収される。
同校はもともとカトリック系だったこともあり、英語教育に定評がある。教科書は英国オックスフォード出版社のものを使用。自習時間でも、それぞれが必死で教科書をめくり、黙々と勉強している姿が印象的だ。
壁に貼られたカリキュラムを見ると、週五日全三四コマのうち「英語」が六コマある。このほか「双語」(バイリンガル)という英語を媒介にして総合科学を教える科目と「聴力」(英語のヒアリング)という科目もある。
同校の教師、徐斐氏によると「カリキュラムは他校と大きく異なるわけではありませんが、教師の水準の高さから、英語コンクールでは常に全国のトップクラスです。国際交流もさかんで、日本の横浜国際女学院翠陵中学・高校とは姉妹校の関係です」という。
教育方針は独立(インディペンデント)、能力(アビリティ)、関愛(ケア)、優雅(エレガンス)という中国語の頭文字を取って「IACE」。良妻賢母よりも、独立心があって社会の第一線で活躍できる人材の育成に力を入れている。
同高校は卒業生の九五%が大学に進学し、そのうちの七〇%が『重点大学』に進学するという超エリート校だ。『重点大学』とは中国政府が重点的に予算や人材を投入して運営するハイレベルな大学のこと。日本でいえば東京大学や京都大学のイメージに近い。
毛沢東がエリート養成のために提唱し、一九五〇年代に重点中学と重点高校、六〇年代に重点大学を全国に設立した。文化大革命の時代に批判され、重点中学という呼称は消滅したが、現在でも旧重点中学、として教育水準の高さは市民に一目置かれている。
市の管轄下に区がある中国では各地区で学区制を敷いているが、旧重点中学に息子や娘を入れようと、わざわざ重点中学のある学区に引っ越す人も少なくない。
「越境入学者には厳しい入学試験と高い借読費(越境入学者に対して学校が徴収する費用。これが学校の財源の一部にもなっている)の支払いが課せられ、社会問題になっている」(アジア経済研究所研究員、山口真美氏)というが、それでも重点大学が集中する大都市、北京や上海の中学、高校に行かせたいという親は後を絶たない。
二〇〇三年の中国大学調査によると、中国で最も入学が難しい大学ランキングで第一位は清華大学(北京)だった。続いて北京大学(北京)、浙江大学(浙江省)、復旦大学(上海)の順。北京大学付属中学や上海第三女子中学のような重点高校はこれらの大学に入るための特別枠があるわけではないが、高い教師レベルと進学実績があるため、常に人気が高い。
ちなみに中国の教師は「公務員」ではなく「準公務員」扱いだ。最もレベルの高い教師が「特級教師」、次が「高級教師」、「一級教師」とランク分けされており、給料が違う。公務員ではないので公立学校間での人事異動はない。毎年教師には生徒や学校から査定が下される。優秀な教師として認識されれば、重点学校や私立校から引っ張りだこになるという。
早稲田大学教育学部教授の新保敦子氏は「中国がエリートを養成する目的はズバリ、国家に尽くす人材を育てることにあります」と語る。優秀な人材は外資系企業や国有企業、国家機関へと就職し、将来は国を背負う人材となる。
日本と大きく異なるところは、日本では大卒文系ならば新卒はみんな同じ給料だが、中国では出身大学によって給料が異なるという点。また、重点大学の出身でなければ、最も好条件の就職は望めないことだ。そのため、越境入学も発生するという事態が起こる。
中国では学習塾はまだ一般的ではなく、進学を希望する子どもたちは、放課後に補習を受けたり、家庭教師について猛勉強する。
しかし、こうしたエリート重視の考え方が一部では変化している、とも言われる。高校の進学率が日本の半分以下の約四二%、大学の進学率が約一九%という中国だが、今後、政府は大学の門戸そのものを広げる方針だという。また、貧富の差が問題になっている内陸部の都市でも「教育の底上げ」が実践され始めた。
前述の新保敦子氏は「貧富の差が人民の不満となって表面化することを政府は恐れています。そのため、大都市圏だけでなく、全国で義務教育に力を入れ始めました。一三億の人口で教育水準が均等に上がっていくことを考えると、日本にとって空恐ろしい脅威といえるのではないでしょうか」と語る。
次に高層ビルが林立する浦東地区に私立の金林檎双語学校(金林檎バイリンガルスクール)を訪ねた。伝統ある旧重点中学とは異なるが、経済成長著しい中国に数年前に出現した、いわゆる「貴族学校(お金持ち学校)」だ。北京ではまだ私立校を低く見る風潮もあるが、経済の中心、上海にこうした学校ができたこともまた、現代中国を象徴しているといえるだろう。
金林檎バイリンガルスクールは不動産業などのコングロマリット、亜竜集団の張文栄董事長(会長)が三・五億元(約四五億円)の私財を投じて二〇〇〇年五月に設立した。入学金は中学で二万四〇〇〇人民元(約三一万円)。上海市のサラリーマンの平均年収を上回るが、上海市政府から数少ない「バイリンガル指定校」として認定を受けたことでも話題を呼んだ。
校名にもなっている金色のりんごと白亜のヴィーナスが立つ立派な校門をくぐると、一万六〇〇〇平方?の広大な敷地に、真新しい校舎が建てられている。生徒数は小学校が一四〇〇人、中学校が一五〇〇人で全寮制だ。中学部の生徒は全員グレーの制服(ジャージ)に赤いスカーフを着用。生徒は金曜の夕方自宅に帰り、日曜の夜宿舎に戻る生活を送っている。
海外からの留学生も多く、韓国人が八〇人、日本人が二四人など十二カ国の子どもが学ぶ。日本人は駐在員や上海で起業しているビジネスマンの子弟だ。
中学部の呉?校長は「当校は社会主義市場経済のニーズに合った人材を輩出することを目的としています。教育方針は『自強(独立心)』と『関愛(愛情を持って人を世話する)』の精神を持つこと。裕福な家庭出身の生徒が多いのですが、わがままに育てるのではなく、厳しい寄宿舎生活で、立派な人間を育てます」と話す。
最も力を入れているのはバイリンガル教育とパソコン教育だ。小学部では理科や算数などの授業をバイリンガルで行っている。
取材した日は午前十時四〇分から始まる予科の英語の授業を見学した。英語教師の鄭秋玲氏が「口語を重視しています。使える英語を身につけさせたい」というように、コンピュータをスクリーンにして、生徒に話しかけていく。
「この写真の中に何が見えますか?はい、そこの君」
「地球です」
先生が指名する以前に生徒たちがハイハイハイ、と挙手をする。手を挙げていない生徒はひとりもいない。次にテープレコーダーを使ってのヒアリング。テープで放送された内容について、生徒を指名して答えさせる。朗読の時間はなく、もっぱら「話す英語」に軸足を置いた授業だ。
授業は午後五時の九コマ目までで、前述の第三初級中学よりも毎日二コマ多い。パソコン六〇〇台を設置し、水曜日の「活動課」や木曜日の「IT」の授業ではパソコンを使った授業を行っている。
このように、中国では伝統的なエリート教育が実践されている一方で、新しい考え方の学校も設立されている。
日本では「ゆとり教育」の見直しが叫ばれているが、中国で最近よく耳にするのは「素質教育」という言葉だ。勉強だけでなく、人間の素質そのものを伸ばす教育のことである。具体的には音楽や美術に親しみ、社会性を身につける教育だ。カリキュラムを見ても、数年前から「総合実践活動」など新規の科目が設置された。
詰め込みだけの丸暗記教育から脱却し、中国全土の教育水準をいかにして向上させ、国力を強化していくか――。隣国、中国は今、こうした教育課題にも取り組んでいる。
文・中島恵
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