抜粋記事
2005年7月10日号「Yomiuri Weekly」(読売新聞社発行)
P64〜66 韓国の伝統手芸ポジャギ 日本的な色合いの秘密
崔良淑(チェヤンスク) Choi Yangsook
(ポジャギ作家・からむし工房主宰/大韓民国出身)
折り重なって、まるで波のように見える淡いブルーと深いブルーのグラデーション。光にかざすと美しく透ける布をそっと手に持ち、ポジャギ作家の崔良淑はリズミカルに針を進めていく。
「海と空の境目の微妙な色合いを表現しようと、自分で染めた藍の絹地を使って縫いました」
『ポジャギ(褓子器)』とは韓国語で「物を包んだり覆ったりする風呂敷のような布」のことを言う。16世紀ごろから朝鮮王朝の女性の間で脈々と伝承されてきた伝統的な手芸である。食器に被せたり、布団を包む日用品として発達してきたが、最近ではその繊細な色合いや透明感、豊富なバリエーションが人気を集め、韓国のみならず、日本でも芸術作品やインテリアとして注目を集めている。
一枚布もあるが、布と布を韓国独特の技法で縫い合わせてパッチワークのようにしたものが多い。「海」と題されたブルーのポジャギはタペストリーに仕立て、今秋ソウルで初めて開催する自身の展覧会に出品する予定だ。
来日して約20年、日韓を通して最も有名なポジャギ作家となった崔は今、日本全国を駆け足で飛び回っている。
2月には主宰するポジャギ教室の初めての展覧会を東京の銀座ギャラリーハウスで成功させた。また、全国各地の百貨店やギャラリーで次々と展覧会を開催する一方、大阪や名古屋のカルチャースクールで講師も務める。今秋には韓国の風景や音楽も取り入れたポジャギのDVD3巻を日本で発売する予定だ。
昨年9月から娘と2人でポジャギを習っているという生徒のひとり、江川行美は「習い事をしていると若々しくいられるし、韓国の知識も増える。崔先生に習うのが楽しみ」と目を細める。
パッチワークやビーズが広まった手芸好きな日本女性たちの間で今、ポジャギは密かなブームになっているのだ。
崔は染色を学ぶため、23歳で来日した。幼い頃から手先が器用で、ものづくりが大好きな少女だった。沖縄の紅型を始め、型染め、友禅、草木染めなど日本の染色技術をそれぞれ師匠について学び、茶道や華道も「日本の文化を知りたくて」身につけた。
ポジャギとの出会いは来日後の89年。東京で韓国の陶芸家の展示販売を手伝っていたとき、陶芸の下に自分で染めた布を敷いてみたところ、主催者から「この布、すばらしいですね」と声をかけられた。染色展を開くことになり作品を作ったが、作品の制作過程で半端なハギレ布がでる。母に話してみたところ「残った布でポジャギを作ってみたら?」とアドバイスされたことがポジャギ作家になるきっかけだった。
ポジャギにはアメリカン・パッチワークのような決まったパターンがなく、布を独自に組み合わせて縫っていくもの。しかし、十数年前、韓国人にとっても、ポジャギは身近なものではなかった。
日本人が戦後、女性の手習いとして和裁をしなくなり、手作りの浴衣や着物から遠ざかったのと同様、韓国でもチマチョゴリ(民族衣装)やポジャギを目にすることが少なくなっていたからだ。
だが、母が見本に作ってくれたポジャギを見て、崔はその美しさに夢中になった。コツコツと理論を研究し、難しい技法を習得した。
そして韓国でも「古いもの」としてしか認識がなかったポジャギを復活させ、崔の作品は日韓双方で注目を集めるように。95年には都内に「からむし工房」を設立。本格的にポジャギ教室を始めた。
「からむし、とはイラクサ科の多年草のこと。日本では夏の最高級素材で、越後上布などに使われている麻です。中国で生まれ、朝鮮半島を経て日本に伝わってきた。私は麻の素朴な風合いが好きで、工房の名前につけました」
日本で初めてポジャギに目をつけ、崔を取材したフリーライターの藤栩典子は「崔さんの作品は透明感があって繊細ですばらしい。崔さんの温かい人柄を表していると思います」と話す。藤栩とのコンビで崔は「彩るポジャギ」(主婦と生活社)を出版。以後も次々と本を出版した。ポジャギは母から娘へ家庭内で伝えるもので、韓国でも一般的に技法を学べる本や資料が少なかったため、崔の本は韓国の書店にも並んだ。
崔は展示会に足を運んだ日本人から、よく「日本的な色使いですね」と言われるという。だが、本人はこう説明する。
「日本で20年間暮らしてきたので、もちろん、私の中に自然に“日本”が入ってきているとは思います。でも、日本人にとっては無意識でも、実はこの色使いは東洋人に共通したもの。赤、白、青、黄、黒は5つの方向を表し、中国の陰陽五行に通じている。アジア人同士、ほっとする色彩感覚が、ポジャギを見た日本人にも、私の身体の中にも流れているのです」
こんなこともあった。ポジャギには布を固定する「パクチ」(韓国語でコウモリの意味)という飾りがあるが、韓国ではコウモリは福の象徴と言われている。しかし、日本では西洋文明の影響か、福というよりも不気味な印象が強い。崔は日本で、江戸硝子のデザインなどでしかコウモリを見たことがなかったが、ある日、長崎の有名なカステラ店、福砂屋の包み紙にあるコウモリのデザインを見て「あっ」と驚いたという。
「コウモリは漢字で書くと蝙蝠。この『蝠』が『福』に通じてめでたいものとなり、カステラ店のデザインに使われたようです。実はポジャギの“包む”という意味の韓国語、『褓(ポク)』も『福(ポク)』と同じ発音で、とても縁起のよいもの。韓国と日本には似ていないようで、唐草模様など、実は似たデザインが非常に多いんです。日本のことを知れば知るほど、韓国との共通性を感じました」
また、以前は白い眼で見られることもあったというが、最近では「受け入れられている」と感じることが増えた。「冬のソナタ」の韓流ブームも日本人の目を韓国に向けさせる後押しとなったようだ。しかし、日韓関係にはまだ微妙な問題も横たわっている。
「布と布を根気よく縫って作品に仕上げていくポジャギのように、急ぎ足ではなく、一歩一歩、近づければいい。ポジャギも、小さな架け橋のひとつになればうれしいですね」
今秋、ソウルで開く展覧会には日本人の生徒、約50人が数十センチ四方を分担して縫い、1枚の大作に仕上げる「フレンドシップポジャギ」も出品する。日本人が心を込めて縫ったポジャギを、本場の韓国人がどのように受け止めるのか。崔は緊張しつつも、楽し(みにしているという。
「韓国でも、日本でも、本物は文句なしにすばらしいもの。いいものはいいものとして、これからもずっと、残していきたい」
夢はアメリカでポジャギ展を開催すること。東洋から西洋へ――。韓国の伝統手芸、ポジャギが日本に根づき、遥か太平洋の大海原を超える日を、崔は思い描いている。
(文:ジャーナリスト 中島恵)
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