抜粋記事
2004年12月25日、2006年1月1日 新年合併号
「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社発行)
p.91 転→展→天職(連載86回目)
癒しの湯と素朴な料理で旅館再建 矢野悦史さん
「どうもありがとうございました。また、お待ちしております」
温泉旅館の朝10時。玄関先で矢野悦史さんの元気な声がはじける。会計や掃除、布団上げに追われたかと思えば、あっという間に午後のチェックインの時間だ。めまぐるしい毎日だが、「とにかく楽しんでいます」と笑顔を見せる。和歌山県奥熊野の名湯として知られる湯の峰温泉郷。平安時代から熊野詣でをする人々が身を清めたという日本最古の温泉だ。その一つ、「湯の峯荘が売りに出されている」といううわさを小耳にはさんだことが矢野さんの人生を変えるきっかけになった。
「南海電鉄の子会社が経営していた『湯の峯』が赤字で閉鎖されるというんです。約3000万円で買う人がいたら売りたいという。自分の家と同じぐらいの値段だ、とすぐこの話に飛びつきました」大学卒業後、旅行会社の営業マンになって約20年。団体旅行を担当し、営業成績は上位だったが、「社内営業」が苦手で媚が売れない矢野さんはつらい毎日を過ごしていた。支店ナンバー2の次長になるとストレスはますます強いものに。旅館に足を運んでみると「お湯がすばらしい」「料理はまずいがつぶすのはもったいない」旅館だった。「ぜひこの旅館を自分がやってみたい」。会社の先輩に相談してみると「おまえがやるなら手伝うぞ」という心強い返事。経営収支を見せてもらうと安い団体ツアー主体で「儲からない」仕組みが問題だった。
「やれる」と踏んでからは猪突猛進。退職金とローンで湯の峯荘を譲り受け、退職後2ヶ月で営業再開にこぎつけた。先輩や同僚3人も賛同してくれ、安定した生活をかなぐり捨てた脱サラ仲間4人組での新たな旅立ちとなった。全26室と大きくないため、手数料のかかる旅行会社との契約はとらずすべてフリー客に。ありきたりの半完成品の料理を排除して手作り料理に切り替えた。包丁など持ったことがなかったが、温泉のお湯を使った熊野牛の鍋や那智勝浦の新鮮な刺身、温泉かゆが売りだ。「旅行するお客様に喜んでいただくという点では前職と同じです。でも、社内を向くのではなく、お客様のほうを向いて仕事ができる。旅館をやって正解でした」売上げは昨年比で30%増えた。循環、湯沸しなしのほんまもんの温泉を求めて「またきましたよ」と言ってくれるリピーターの声に今日も胸を熱くする。「こんないいお湯に毎日入れるなんて、そりゃ、贅沢です。ストレスも吹き飛びますよ」
文・中島恵
|